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かえるくん総合研究所

意識高いやつ。いるよね。好青年。いるよね。でも、全員がそんなじゃ気持ち悪くない?と思いながら、秒速で駄目な日々をおくってみる!!

もし地蔵ナンパ師が村上春樹の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の登場人物だったら

書評

カンガルー日和 (講談社文庫)

2015年10月の出会い

10月のある晴れた午後、ある繁華街の路上で僕は100%の女の子とすれ違う。僕は地蔵系のナンパ師だ。ただし、路上で地蔵しながら多くの女の子が通り過ぎるのを眺めていた。だから分ったんだ。僕にとっての100%の女の子が向こうからやってきたのが

 

もちろん、この大きな繁華街でもっと綺麗な子がいなかったかと言われれば、そんなことは無い。もっと可愛い子が沢山ぼくの目の前を通り過ぎていた。

 

でも彼女は僕にとって100%の女の子なのだ。彼女を目にした瞬間から僕の胸は不規則に震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。どんなオープナーがいいのか?誠実系がいいのか?チャらい系がいいのか?直接アプローチにすべきか?間接アプローチにすべきか?

 

彼女は改札から繁華街へ。僕は繁華街から駅に向い歩いていた。とても気持ちの良い10月の午後。そもそもこれは単なる「非モテ・コミットメント」なのだろうか?

 

たとえ10分でも僕は彼女と話してみたいと思う。2015年の10月のある晴れた午後に、僕たちがどうしてこの薄汚れた繁華街の路上ですれ違うに至ったか。その運命の経緯を解き明かしてみたいと思う。

 

僕が彼女に話しかけたとしよう。「こんにちは。あなたは僕にとって100%の女の子なんですよ」。なかなか斬新なオープナーだ。僕のスクリプト集にはそんな言葉はなかった。第一、僕は先日、ナンパ講習を受講したばかりなのだ。酔拳(※アルコールを注入してテンションを上げること)状態でもない僕にそんな発言は無理だ。

 

ある繁華街のストリートで僕は彼女とすれ違う。温かい小さな空気の塊りが僕の肌に触れる。僕は彼女に声をかけることもできない。彼女の姿は繁華街の人混みに消えていった。

 

たまたま一緒にナンパに同行してくれた僕の友人の中年童貞が言った。「フィッツジェラルドの小説と恋愛工学のメルマガ以外はクソだよ。インチキだ」。やれやれ。その時、若い時に聴いたウータンクランがある商店街のBGMとして流れ、僕は深く混乱したんだ。そしてウータンクランの音楽が終わるのをうずくまりながら待っていた。

 

友人の中年童貞がいった。「大丈夫かい?」。僕は答えた。「ああ、大丈夫だよ。ちょっと悲しくなっただけだから」。中年童貞は微笑みながら言った。「分かるよ。僕にも時々そういう時がある。アイドルの握手会に行った後とか」。

 

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永沢さんが言った(ん?どこにいたの?)。「死後100年を経った作家の作品しか俺は読まない。時の経過の淘汰を生き残ったものだけが本物だよ」。僕は言った。「でも、恋愛工学の藤沢教授はまだ生きてますよ」。「恋愛工学ほど優秀なら例外だ。お前も購読してみろよ」。

 

(※週刊金融日記・申込みフォームはこちら/「もちろん嘘です!!!」)

 

羊男も僕を励ましてくれた。「やっぱり男女の出会いのスポットは“井戸”だよ。納涼船もホテルのナイトプールももう終了の季節だ。井戸こそが秋の出会いスポットだよ」。

 

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もちろん今では、その時彼女に向ってどんな風に話しかけるべきであったのか、僕にはちゃんとわかっている。その台詞は「昔々」で始まり、「地蔵ナンパ師に声をかけられるなんて、困っちゃいますよね?」で終わる。僕はアドセンスの広告はペタペタと貼りながらそんな風に今日の出来事を振り返っていた。

 

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 広告は貼り終った。僕はかすかな記憶の糸をたどり始めた。そう、あれは10年前の出来事だった。

 

昔々、僕たちはの100%恋人同士だったんだ

昔々、あるところに少年と少女がいた。僕は彼女にとって100%の少年であり、彼女は僕にとって100%の少女だった。僕たちはお互いがお互いにとって本当に100%なのかを証明したかった。

 

「ねえ、もう一度だけ試してみよう。もし僕たち二人が本当に100%の恋人同士だったとしたら、いつか必ずどこかでまた会えるはずだ。そして次にめぐり会った時に、やはりお互いが100%だったなら、そこですぐに結婚しよう。いいかい?」

 

「いいわ」と彼女は言った。そして二人は別れた。そしておきまりの運命の波が二人を翻弄することになる。ある年の冬、二人はその年に流行った悪性の性病にかかり、生死の境をさまよい、そして昔の記憶をすっかり失くしてしまったのだ。

 

そして10月のある晴れた午後、少年と少女は繁華街で出会う。二人はすれ違う。失われた記憶が微かな光が二人の心を一瞬照らし出す。しかし彼らの記憶の光は余りにも弱かった。二人は言葉もなくすれ違い、そのまま人混みのなかに消えてしまう。

 

僕はあの時、こう言うべきだったんだ。「地蔵ナンパ師に声をかけられるなんて、困っちゃいますよね?」と。僕は彼女にそんな風に切り出してみるべきであったのだ。

 

羊男が最後に言った。「設定を“地蔵ナンパ師”に変えても、ストーリーが全く変わらないね。これ、ボツじゃね???」。これは出来の悪いサンプリングでありオマージュでありパロディだ。僕はビールを飲みながらご機嫌でこの記事を書いている。きっと明日には後悔するだろう。

 

気分が良くて何が悪い?

 

(村上春樹の元ネタはこちらから)

(おわり)

 

追記:僕が注目する“文体模写”の書き手たち

こういう記事は書いててマジで楽しい。そして僕のような駄作じゃなくて、本当に上手で面白い記事を書く人たちがいっぱいいる。例えば下記のような記事。

penguin-diary.hatenablog.com

 

恋愛工学の末席の徒である僕も笑った。恋愛工学パロディ版。「僕は愛を証明しようと思う」を愛のあるパロディにしたら。。。。愛があるんだよ。

penguin-diary.hatenablog.com

 

 

その他のパロディ記事はこちら

本ブログの他パロディ記事。過去に「カイジ」をモチーフにした記事もかきました。利根川は僕の心の師匠です。

www.moneynanpa.jp

そういえば「羊をめぐる冒険」をモチーフにした作品も書いてますね。

www.moneynanpa.jp

 

村上春樹作品の書評はこちら

「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」についての書評はこちら。

www.moneynanpa.jp

 

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